小学4年生のことだった。
現地校に編入することとなった。
今、思えば、英会話教室にでも通わせればよかっただろうに、
準備ゼロ、one から twenty だけ発音できるようになって、
現地の学校初日を迎えた。
現在も気楽に生きているが、当時もひどかった。
準備という概念が存在しないんだもん。
でも、父ちゃんは、もっと大変で、外国で製品を売らないといけない。
当時から8年ぐらい経ってから、断片的に、現地での仕事の様子について
聞かされたことがあるが、う~ん、と考え込んでしまうくらい大変だったそうだ。
父ちゃんも、わけのわからん外国での仕事で、てんてこ舞い、だったのだ。
さて、ドラ息子はというと、もうこれは大変な毎日で。
日本語学校もなかったしね(苦笑)。
その頃、通っていた現地校(2016年現在、ホームページより)。
9年後に現地の様子について聞く機会があったが、
それからさらに環境が変わってしまっているのが明白です。
(学校の人種構成が、当時とすっかり変化してしまっています、
あの頃は、もっと、のどかだったのに・・・
これも時代の変化なのでしょうね)
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